微妙な違いが生み出すもの。

JRTA(日本ランニングトレーナー協会)認定ランニングインストラクターの野見山健治です。

「なる」
「なりたい」
「なろうと思っている」
「なれたらと考えている」

どれも自らの希望を抱いている発言です。

誰もが理想を抱いています。
仮に現状に満足できている人でも、それを維持したいと考えているならそれもまた理想の一つです。

あなたが誰かに自分の目標や理想を話すときには、最初に挙げたようなもののどれかを使って表現しようとすると思います。

不言実行という言葉もあります。自分の思いを周囲に伝える必要はありません。
それでも少なくとも「自分の中」にはその思いが存在するはずです。自分自身には伝える必要があります。

 

自分が描く理想はどんなものだろうか?
そのために何が必要だろうか?
理想を実現出来たら、自分はどうなれるだろうか?

周りから見たら小さな目標だったとしても、あなたにとっては重要な目標でしょう。
ことの大小は問題ではありません。

達成できたのなら、どれも最高な自分なのですから。

 

どんな表現を使うのも自由ですし、どれがいいとか悪いということもありません。
ただ意志の強さは確実に言葉に現れます。

「自分は○○になる!」

と言ったほうがはるかに強い意志が含まれています。
なりたい自分の姿を思い描くこと、そしてそれを信じること。
周りの目や意見を気にして、「どうせ自分なんか」と思ってしまうことほどもったいないことはありません。

あなた自身のことは、たとえあなた一人だとしても信じてみるべきです。

 

成功する人、何かを達成する人は必ず理想の自分を描いています。

今から変化、進化をするにしても、現状を保つとしてもそれは決して簡単ではないでしょう。挫折することもあるでしょう。

それでも結果を残せる人は、自分を信じる強い心を持ち行動できる人だけなのです。
「たなぼた」もその場所にいなければ手に入れることが出来ません。結果を信じて行動することが大事なのです。

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自分の心に尋ねましょう。

そして強く思いましょう。

「○○になる!!」