「理想の姿」に向かって共に歩むパーソナルトレーナー、相支走愛(神戸)の野見山健治です。
いよいよ来年に迫った東京オリンピックですが、いろいろとバタバタしてますね。盛り上がるというよりは、「おいおい大丈夫かよ?」という気になるほど競技以外のところで話題になって、選手は二の次になっている印象です。
アスリートファースト、どこにいったの?

さて今日、アスリートのことを考えているのか?という意見がさらに出てきています。
陸上の短距離の選考に関して…
『100または200メートルの代表選手については、400メートルリレーへの出走が想定されることから、競技日程による身体的負担を考慮し、個人種目の代表選手としての選考は、原則として1種目のみとする』
という一文を入れるという話。
これが本当に決まってしまったら、100と200の出場を狙っていた選手が道を半分閉ざされることになります。
名前や実績だけで「出たいっす」とかいう話なら、こういう制限も必要かもしれませんが、そういうわけではなく選考大会で基準の記録を超えて、かつ順位も満たした選手が選ばれるわけです。その時点で最も速く強い選手だけが得られる権利です。
もし2種目においてその権利を得た選手がいたのなら、その選手自身がどうするかの選択をするのが筋じゃないでしょうか。
目線を変えれば、出場できる選手が増える可能性があるとも言えますが、強く速い選手が上から順に選ばれなければ、選考の意味がない気もします。もしこれが通れば、3番手、4番手が選ばれる可能性もあるということですよね。これって選手自身からしてもどうなのでしょうか。
選手のコンディションを考えて2種目までにしようというのが根底にあれば、まだ理解は多少できるのですが、陸連がリレー以外を軽視している(あるいは期待していない)と言っているように感じます。
ちなみに強化委員長は新国立競技場に関して「反発力が強い、硬いトラック。このトラックで3種目を走りきるのは厳しい」と表現したそうです。これは委員長個人の意見ではあるとしても、東京オリンピックに合わせて新しく作ったトラックが選手のことを考えて作られていないということ?
おかしいことだらけ。
話を戻します。
なぜ陸連が選手の権利を制限するのでしょうか?そんなにリレーが大事ですか?リレーのために個人戦を捨てないといけないのですか?
個人戦はどうでもいいというのでしょうか?
こういう質問を投げかけたところで、結局「いやそんなことはない。△※◆…」のようなあいまいな答えしか出てきそうにありませんが。
「国民の期待が高まる中、成果を残すために制限することも必要」という趣旨のことも話していたようですが、制限するのはそういうことじゃないと思う。こう感じる私がズレているのでしょうか?
まだ確定ではないにしろ、そういう意見が「上」から出てくる時点でおかしいと私は思います。
アスリート、特に短距離の選手生命は決して長くはありません。選手によってはこの一年にかけて燃え尽きるくらいの気合で取り組んでいる人もいるかもしれません。
それに対してリレーのため?「個」を蔑ろにして、団体なんて成り立つのでしょうか?
百歩譲ってリレーのために戦った選手がいたとして、リレーの結果の如何に関係なくその選手の今後を陸連は面倒見るのでしょうか?
選手には自分の人生の一部を諦めるようなことを迫るのであれば、連盟は何もしないなんてことはないですよね。普通に考えれば。
そこまでの覚悟をもっているのであればいいですが、果たして…。
とにもかくにも私はこの案、反対です。といったところで何も変わらないでしょうけど、書かずにはいられませんでした。
日本じゃなきゃまず出てこない発想でしょうね。今回はもちろん悪い意味で。
陸上っていうのは個人戦が第一なのが良いところだと思うのですが…
あと、「原則として」というくだりがあいまいでイヤですね。どういうケースが例外に当たるのやら。
コメントありがとうございます。
まさに仰る通りだと思います。年齢層の高い上層部が考えそうな、保身にも回っているようにも感じる言い回しです。
やるならやる。やらないならやらない。
それくらいの覚悟をもってやってほしいです。