「理想の姿」に向かって共に歩むパーソナルトレーナー、相支走愛(神戸)の野見山健治です。
今はニュースを見れば、ほとんどコロナウイルスという単語を耳にします。それだけ避けては通れない状況になっているということ。
その中で、今日とにかく衝撃的だったのは…
「志村けんさん死去」
どんな有名人が亡くなっても、「あの人がついに…」と遠くで感じている程度だった。接点がない遠い存在だったから。
でも今回は違った。
もちろん接点はないし、当然面識もない。でも、知っている。
カトちゃんケンちゃんを見て育った世代だった。テレビを見て笑い、ゲームもやったなぁ…
感覚的には「親戚のおっちゃん」に近いくらいだったのかもしれない。
私は有名になってからしか知らないけれど、とてつもない苦労をしたこと、それを強い気持ちで乗り越えたことなど大人になってから知った。
リアルタイムではなかったけれど、ドリフもバカ殿も定番。だけどそれでも笑った。
志村けんさんの言葉である。
マンネリで大いに結構
ほかの人はマンネリまでいかないじゃないですか定番があるのは全然恥ずかしいことじゃない
やってる方の気持ちが新しければ
笑いに古いも新しいもないドリフも僕のバカ殿も変なおじさんも必死でネタ作って
とことん何年もやり続けてきたわけだからみんなマンネリの域まで達してみろって
練りに練ったもの。定番であっても、必死に練って、それが磨かれていれば通じる。
実際にそれをやりきった方の言葉は重い。
ともすると、手を変え品を変えとなりがちである。手を講じることが間違いではない。
でも基本がないところには、何の成果も乗ってこないのも事実だと思う。
私はマンネリだとか極めるなんていうどころか、何も形に出来ていない。
その癖いろいろとやろうとしてしまう。
小手先にならないように、定番をビビらず、必死に練り上げる。
日々をそのように磨き上げていきたい。
ずっと恵まれてみえる人は
みな必ず努力していることだ。
例外なくね
これも志村さんの言葉。彼の他にも結果を残している方は似たような言葉を多く残している。
恵まれて見えなくてもいい。
私は努力をする。
自分にできるのはその道だ。
時間が経っていないからか、またいきなり戻ってきてくれるんじゃないか。まだそう思ってしまう。
笑いも考え方もありがとうございます。
ご冥福をお祈りいたします。