知ることが出来るように。

「理想の姿」に向かって共に歩むパーソナルトレーナー、相支走愛(神戸)の野見山健治です。

 

平昌でオリンピックに続き、10日間にわたって開催されていたパラリンピックが閉幕しました。

出場全種目でメダルを獲得した村岡選手をはじめ、過去最多の10個(金3個、銀4個、銅3個)のメダルを獲得と活躍が光っただけでなく、各選手がそれぞれの全力を尽くしたであろう日本選手団。

 

日本代表に限らず、出来ないことではなく出来ることを探して、その点に特化して突き抜けられるように努力をする姿は、取り組む内容は違っても自分にも当てはまるのだと見ていました。

 

 

「これでもか」と各局が生中継して、競技以外の面まで報道していたオリンピック。それに対して、生中継どころか競技映像さえ流れない種目が多数あったことはとても残念。

メディアがメダルの期待をかけるような実績ある選手以外にも、最高の舞台で自身のベストを尽くそうとしていたアスリートはたくさん参加していたわけです。全ては難しいとしても、もっと目に触れる機会はあっても良かったのではないかと感じます。

 

テレビ局は収入が必要なのはわかりますが、4年に1回の勝負をかけている必死な姿を見られないと、周囲がその姿や取り組みを知る機会にもつながらず社会の関心がそちらに向く確率は上がることはありません。

 

 

知ることで拓ける。

今回のオリンピックで特に注目を浴びたカーリングなどは、国内の選手権も満員になるほどの熱狂ぶり。それが良いか悪いかは別にして、そのきっかけになったのはまず「知る機会」があったからだというのは間違いありません(報道内容は別として)。

 

同様に、パラリンピックの各競技も知る場面があることで、「自分にも出来ることがあるかもしれない」と感じてもらえる可能性が生まれてくるはずです。選手を目指す人や支えられる人たちが1人でもそう感じられれば良いなと思うのですが、積極的に進めることが出来ないというのは残念に思えてなりません。

 

 

一生懸命な姿は人に感動を覚えさせます。しかし、選手がこんなに頑張っているんだと感動するだけでなく、そういう頑張れる環境を作り出せるようにしていくことがこの先出来ることではないでしょうか。

 

 

バリアフリーというのは、身体が不自由な方でも安心して使えるように設備などを整えることというように認識されています。段差がなくなったり、点字ブロックを設置したり。

 

それも効果はあるでしょうが、本当のバリアフリーはそういう方も含めて全ての人が「普通に」生活できる環境を整えることではないでしょうか。

誰でもやりたいことに取り組める、困っていたら助け合う。そういった街づくりをしていくことが全ての人にとっての「バリアフリー」に繋がるように思えます。

 

私たちはまず周りを見渡して、声掛けしたり、何が必要かに注意を向けるといったことから、その一歩が踏み出せるでしょう。

 

 

 

メダル数が国民栄誉賞の候補の題材になるのであれば、村岡選手なんか検討はしてもいいじゃないかと思えるほどの快挙のはず。今回は難しくても、今後そういう議論が出てくるようにしていけたらいいなと感じます。