最後。

「理想の姿」に向かって共に歩むパーソナルトレーナー、相支走愛(神戸)の野見山健治です。

 

 

今日は24年パリ五輪に向けてのMGCの最初のレースでもある福岡国際マラソンでした。
それと同時に、国内のマラソン大会の最高峰とされていた同大会の最後の開催。
 

いろんな意味で注目でした。

 

変異株の拡大の影響を受けて、直前に海外からの入国が制限されたこともあり海外からの招待選手は出場せず。
国内招待選手、国内所属の海外の選手、そして国内一般選手だけで行われました。
エントリーされたのは124名(+ペースメーカー6名)で、スタートしたのは112名。

 

まさに少数精鋭。
非常に高い基準を満たした選手だけに許されたスタートライン。(いつか立ってみたかった)

 

ハイペース

レースは序盤からペースメーカーが速いリズムで安定させる。
2分58秒/kmというフル換算したら2時間5分10秒になる設定ペースを基準にしながら、ややそれより速いペースで展開される。
そんなハイペースでも先頭集団に積極的につく選手が多かったのは、以前と比べて走力以上に「意識」の変化を感じた。

 

以前であれば3分ペースやその後ろに集団が出来ているような設定だと思うのです。
日本記録が4分台に突入したことやサブテン(2時間10分以内でゴールすること)に対して大きな抵抗がなくなったことがこの積極性に表れているのではないかと。

 

またMGCという明確な基準があったこともひとつ。
以前なら優勝者の中から「選考」という目に見えない形であったのに対して、記録を出せば挑戦権→順位で確定とわかりやすくなったことで、記録に挑戦しやすくなっているというのもあると思います。

 

①2時間10分以内で1~3位
②2時間9分以内で4~6位
③2時間8分以内なら無条件

この3パターンがMGC出場を決めるための基準。
これだけを目標にしていた選手もいるのでは。

 

 

さて、展開はというと20km地点で有力と見られていた設楽選手が棄権。
その辺りから集団からこぼれ落ちる選手がチラホラと。

 

戦略的に落とす選手もいたでしょうし、余力が無くて落ちていった選手もいるでしょう。
マラソンは難しい。

 


30kmあたりで高久選手、ルンガル選手、ギザエ選手が一旦抜け出す形になるも大きなリードにはならず。
じわじわと細谷選手、定方選手が追い上げ、その後方に大塚選手という並びに。

追い上げてきた細谷選手が逆に前に出ようとする積極性。
それでもペースは全体的に落ちてきて、駆け引きというよりは我慢比べの様相に。

 


そんな苦しい展開の中、35km当たりでギザエ選手が明らかなスパートをかけ勝負に出る。
これに反応が出来ない高久選手は遅れ、細谷選手もやや離される形に。

 

序盤のハイペース、気温の上昇もあったのか全選手足取りが重く苦しむ終盤となっていました。

 

それでも耐え続けたギザエ選手が2時間7分51秒で優勝。

 

細谷選手も何とか走りきり、2時間8分16秒で2位。
ルンガル選手が3位で続き、追い上げた大塚選手が4位。転倒するほどギリギリの状態になっていた高久選手も2時間8分38秒で5位(日本人3位)。

さらには上門選手が2時間8分56秒で日本人4位となり、滑り込みでのMGC出場権獲得。

 

中盤まで後ろの集団に控えていた二岡選手は後半上げてきて2時間9分14秒。
惜しくも今大会での出場権獲得はなりませんでしたが、無理して攻めるより自分のペースを守りながら最後に勝負(最後の2.195kmは全体トップ!)して結果を残すというあり方を見せてくれました。

 

 

中継の関係で最後までは見られませんでしたが、最後の最後まで力を出し切る選手の姿。
歴史ある福岡国際マラソンの最後に、そういう姿を見られて感動しました。

 

私の生まれ育った地であり、見慣れた場所を走る大会。
それが見られなくなるのは寂しいですが、また新たな場で新たな歴史が作られるきっかけになればいいなと。
いや、そうしないといけない。

 

出場された選手、関係者の皆様、お疲れさまでした。
そしてありがとうございました。