あってはならない。

「理想の姿」に向かって共に歩むパーソナルトレーナー、相支走愛(神戸)の野見山健治です。

 

年末に行われた全日本大学女子選抜駅伝競走。通称、富士山女子駅伝。その名の通り大学女子選手が頂点を争う大会です。年末に開催されたのですが、年が明けてようやく私は見ることができました(結果も知らないという小さな奇跡)。

 
男子大学生の大会でいうところの全日本大学駅伝に近いでしょうか。時期的にも、この大会で競技生活を最後にする選手もいるくらい彼女たちにとっての集大成。晴れ舞台の一つ。

注目度は男子の箱根などに比べたら低いですが、もっと女子スポーツの位置を高めるためにも広がってほしいところです。どうしても日本の場合、女子スポーツを純粋なスポーツ選手として取り上げない傾向がありますから…

 

 

おそらく主催者側は箱根駅伝のようにしたいのでしょうが、今回の運営を見ていたらそれは程遠いのだろうなと感じました。

顕著に表れていたのは、中継所。

タスキを渡す相手がいない場面が複数

駅伝大会での襷を渡す中継所では、その手前に人員を配置して待機所にゼッケンを伝えるなどして選手の到着を前もって伝えるようになっている(はず)。

時折、選手自身が聞き逃したり準備で手間取ったりして出遅れるのを目にすることはありますが、今回はそれとは違いました。

 

選手がいない場面が複数。間に合ってもバタバタとダッシュして画面の端から急に表れるというのがかなりの数いました。

1人、2人であれば選手のミスということも考えられますが、あれはほぼ確実に運営のミスでしょう。

 

 

駅伝には「流れ」があります。ちょっとした出来事で焦りに繋がったり、逆に勢いに乗ったり。
それは時として選手の力以上のものを引き出すことでドラマを呼ぶこともあります。

 

たった数秒と考える人ももしかしたらいるのかもしれません。でもその数秒が全体を狂わすこともある。それが駅伝の難しさでもあり、面白さでもあるはずなのです。
それが人為的なミスで引き起こされるとしたら、問題外。

 

選手も数カ月、あるいは数年単位で調整したり目標として取り組んでいることもあります。その期間の積み重ねをこんな初歩的なミスでぶち壊してしまう。

そのことを本当に考えてやっていたのだろうか?

 

 

ミスは誰にでもある。でもあそこまで初歩的な連係ミスはあってはならない。運営するのであれば、最低限のことはやらなければならない。

 

私自身もイベントを運営したり、マラソン大会で前に立たせてもらう機会があったりします。
規模の大小を問わず、思いを巡らして準備をしなければならないと強く感じました。

こんな場面が次に起きないように。

 

 

選手が輝く姿を見せることで、見る者が憧れ、裾野が広がり、切磋琢磨する中でレベルが向上して、そして更なる輝く選手たちが現れてくる。
このサイクルが重なり合ったときに、伝統となり真の強さに繋がってくる。

 

まだまだ日本のスポーツ、特に女子スポーツはそういう層が育ちきっていないと思う。

 

周囲がその邪魔をしてはならない。