健康のためでも危険と隣り合わせ。

JRTA(日本ランニングトレーナー協会)認定ランニングインストラクターの野見山健治です。

 

昨日の記事では私自身の走りを中心に振り返りましたが、走っていて強く感じたことを改めて記します。
読んでくださるあなたには頭に置いていてほしいですし、共感していただけたら周りのランナーにも少しでもいいので伝えていただけたらと思います。

 

 

先日の神戸マラソンでは、3~4km地点くらいで3時間15分のペースメーカーを抜き去ってからはずっと3時間を狙うであろうランナーが周辺にいる状態でした。

終盤は私自身のペースが多少落ちはしましたが、3時間の一桁でゴールできたことを考えれば間違いなくある程度のトレーニングを積んできているランナーしかいないエリアのはずです。

 

それであっても、中盤以降はもはや走ることが出来なかったり、脚がもつれて転倒してしまったり、嘔吐をしていたり・・・他にも脚が攣ってしまっていたり、意識が朦朧としているのか身体的なダメージなのか蛇行するようなランナーまで見受けられました。

私もいつもの大会であれば、どこで何があってどんな人が沿道にいたという細かい点まで覚えているのですが、今回は一部記憶が曖昧な場所がありました。

 

良くいえば集中しきっていたとも取れますし、もしかすると意識が飛びかけていたのかもしれません。

 

 

初心者だけでなく、やはりある程度走れているランナーにとっても(自分が走れているという意味ではありませんが)、フルマラソンは厳しいスポーツなのだと痛感いたしました。

ある程度無理がきくようになったと思っているランナーの方が、かえって危険があるのではないかとさえ思いました。

 

私自身脱水症状に陥り、身体の痺れと脱力を経験してしまったという失敗もあります。
その時は違和感を覚えたところからある程度の対処をしていたので、大事に至ることはなかったですが、もし知識が無かったらと思うと今振り返っても非常に怖いです。

 

線引きが難しいところではあるのですが、「頑張る」と「無理をする」の境界線を見極められるように、練習の中で身体との対話を繰り返す必要があると感じています。

たとえば心拍、呼吸。
脚の張りや違和感、痛み。
お腹の張りや痛み。

 

変わっていく身体の状態に対して危険だと判断できるのか、またその時に勇気をもってやめることが出来るのか。

そこは日々の積み重ねの中で少しずつ蓄積されていく経験値で判断していく必要があります。

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過信は禁物です。

現に命に関わるような事例も、少ないとはいえ起こりうるのがランニングなのです。

距離や速さ、経験やその日のコンディションなど要因は様々で、その危険性を数字で表すことは出来ませんが、確率の高低は別にして誰にでも起こりうるのが事故なのです。

 

「自分は大丈夫」

どこかに思ってませんか?

 

せっかくの趣味です。
楽しく取り組むためにも、その辺りの危機意識は自分の中に抱いておきたいものです。

あなたの大切な仲間にも、そのような意識が広がっていくことを望みます。