改めて思ったこと。

「理想の姿」に向かって共に歩むパーソナルトレーナー、相支走愛(神戸)の野見山健治です。

 

今日はふと思ったことを書きます。

 

世界バレーの中継をやっていて、日本代表の活躍によって注目度も大会前より上がった気がします。残念ながらメダルには届きませんでしたが、粘り強い戦いはフィジカルでは到底勝てない相手にも、十分に勝負が出来ることを示してくれたと思います。この調子で頑張ってほしい。

 

その中継で、ふと気になったこと。

個人レベルで「この人美人だなー」とか「タイプだなー」とか「かっこいいなー」と思ったりするのは、特に意識していなくても思うことはあるかと思います。(わざわざ探すのはまた話が違いますが)

 

ただそれを報道する側が使ってしまってはいけないと思う。「美人○○」とか「ママさん~」とか「イケメン○○」とか。中には変な(?)キャッチコピーつけられている選手もいますよね。あれは個人が希望しているものなんだろうか?

 

あと他の競技になると○○2世とか、和製○○とか西の○○とか…大物を引き合いに出すことも良くあります。本人がそこを最大目標として目指しているのであれば仕方がないですが、個人として取り組んている中でそういう名前をつけるのは凄く失礼だとは思わないのだろうか。

「誰かのようだ」と思われるより、自分個人として認識される方が競技者からすると嬉しいものなのではないだろうか。私はプロ選手ではないけれど、どんなことであれ野見山という個人として覚えてもらいたいと思っています。

 

 

そもそもこういう場合の1世は、まだまだ健在どころか現役バリバリであることが多い気がする。

 

 

団体競技の中継で「○○登場!」みたいなテロップや実況も理解が出来ません。なぜ個人にスポットを当てるのだろう?全員で戦っているはずです。

○○ジャパン。なぜ監督の名前を付けたりするのだろう。良いじゃないか、日本代表で。個人の所有物じゃないんだから。「この種目の代表は○○ジャパン」と愛称にしてしまうなら、認知してもらう目的として納得なのだけど。

 

 

以前から思っていることだったけど、改めて文字にしてみました。

 

どうにもスポーツが根付かないのには、こういうところも関係しているのではないかと思ってしまいます。

どうかフラットにやってほしい。

 

もちろん関心を持ってもらわなければ始まらないのだが、こういう始まり方では続かないのかなと。こんな考えは古い人間なのでしょうか。